鳥貴族エクスキューズ

 

人に合わせることをよくする。例えば、食に興味がないので、誰かと飲みに行く時、価格帯は全く気にならない。相手が鳥貴族で楽しめないならば、鳥貴族には行かないし、鳥貴族が楽しいならば、鳥貴族に行く。相手との楽しい時間を買っているのであって、焼き鳥を買っているのではない、そういう感覚。

 

しかし、「自分が少し我慢すれば相手が楽しい」時はどうだろうか。私はそんなにこだわりがない部分において、相手が楽しければ良い。だからなるべく自分の我慢で済む方を選んで、結局我慢しきれずに不発弾となり、相手は高確率で爆発する。好き嫌いはハッキリしている方だと思うが、それは稚拙な自分なりに熟考した上にある。我慢できるかできないか、1度試してみないとわからない。ラインがあるならば、日本国憲法、法律、道徳、そして拙い自分の経験。それ以外で試さずに拒絶、それは差別でありワガママだと思っている。それって悪いことなんだろうか?今は、悪いことであり、悪くないことだと思っている。人生経験が浅いもので、私にはまだたくさん試してみないといけないことがある。

 

自分の気にならないところで相手が不利益を被ったら、すぐに、謝る。別にそこにポリシーも好き嫌いの明確さもない。それは当たり前だと思っている。なぜなら自分は全知全能じゃないから。自分は全部知っている、誰誰よりも物を知っている、そう言った考えを持つのは浅はかだ。物事の正解は一つじゃないし、ましてやひとの気持ちやひととなりは恐ろしく複雑だ。昨日自分が言ったことさえ、明日の自分には嘘かもしれない。それに、もしも全知全能がいるならば、この世はもっともっと幸せな人で溢れてる。

「思ってたのと違う」かつて私にそんな残忍な言葉をかけたテメェら、そういうことだ。

 

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