生きてます 2022.10.12

高校生の修学旅行の感想文で、こんな作文を書いたことを思い出した。

 

私は無宗教なのに、なぜ無条件で寺や神社を見せられて、手を合わせるんだろう?分からなかったので、自分なりに考えてみた。ガイドをしてくれる社会の先生の話を聞くうちに、気付いたことがある。私たちの先祖は飢饉や天災がある度に、寺や神社に手を合わせて、生きたいと祈った。医学や他の学問も十分に発達しない中だけど、とにかく手を合わせて祈り、心の拠り所が出来ることで、生き続けることができた。そのお陰で私はここにいる。だから私は、どんな時も諦めずに生きたいと願ってくれた先祖への感謝と、生きたいという祈りを受け止めてくれた寺や神社への感謝を込めて手を合わせることにした。

 

24歳の私も同じことを思っている。たまに「楽して億万長者になりたい」とか祈るけど。

 

御徒町で「生きてます」と書いてある柱を見つけた。消えてしまいそうな小さい字は、まるで生きたい気持ちさえも消えてしまいそうだけど、それでも頑張って生きてると思いたくて、自分が確かに生きている証拠を残そうとしてるみたいだった。心の拠り所が柱に書いた自分の文字だって良い。また次の年に見て、何とかまだくたばらずに生きてるよって思っていてほしい。

 

私も、なんとか今日も生きてます。

 

f:id:sha_dats:20221012203348j:image