ニューアカオ

という建物が「死ぬ」。(建築当時は)政治家の黒い金が相当動いていたという件やら今の建築基準法やら、時代の変化やらで、もう同じものは建てられないという。

 

生きていた頃のニューアカオは知らない。しかし、確かにもう死んでいた。隠しきれない客室の床の不陸や水回りの異臭、サビだらけのプール。人を泊らせるにはあまりにも不憫だと言うのかもしれない。しかし、バブルの時代を感じる潮騒のようなダンスフロアや鯉が泳いでいたんだろう飛び石を渡って行くカウンター、貴族のパーティーを思わせる見たこともない大きさの会場など、今もなお客を待っているような場所もあった。さも生きているように見えるそれらから、老人の目の奥のような、微かでありながら強いプライドを感じた。

 

廊下に一直線に並ぶ客室から、子供がはしゃぐ声や儚い愛の言葉などが聞こえた気がした。ダンスフロアの靴の跡の傷から、キラキラした赤いドレスが見えた気がした。知るはずもないたくさんの他人の思い出の残像が、そこには確かに存在した。人の言葉や記憶は曖昧で、忘れたらすぐに影も形もなく消えてしまう。しかし、ニューアカオには、それらが嫌というほどたくさん、当時のそのままの状態で、あった。

 

そんな思い出の残像すら、もう、消えてなくなる。私はそのたくさんの輝きをずっと覚えていたくて、無心でシャッターを切った。冒険のようなワクワクの一方でやっぱり皆どこかショックで葬式みたいだった友達との空気も、私達のニューアカオの思い出として、忘れない。

 

 

ニューアカオよ、永遠に!

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