私は6年離れた妹がいる姉だ。長女と歳が離れているからか、妹は、両親含め何歳になっても赤ちゃんのように可愛がられている。その甲斐あって妹はその典型のように育った。妹はやっとこさ自分で働いて貯めたお金でステキなマフラーを買った。さぁそれを巻こうものなら、「はい、やって(姉に差し出す)」。こんなように。

でも何でもやってしまうのである。自分でやれよとは言えない、はいはい、いいよいよとやってしまう。彼女にはそんな魅力がある。

そんな彼女はこの時期特有の見た目が気になるお年頃、己のことをブス!と罵る。こんなにも可愛いのに。両親の声は一切届かない。姉ももちろん思ってる。でも、姉はその気持ち、何となく分かる気がする。無用に周りと比べて悲しんだり、自分の悪いところばっかり目につく時期だ。両親はとうに忘れたのだろうが、姉には鮮明に思い出される。

迎えた今日の成人式。前撮りで予習済みだ。もうほんとブス!と嘆く彼女が。ブス!の後は落ち込んで手のつけようもない。ぜんっぜんブスじゃないのに。こんなにも可愛いのに。彼女が自分を罵ると心が痛む。知恵を振り絞って出来ることを考え、韓国アイドルメイクとやらを急拵えで見よう見まねで習得して、生まれた時から妹の顔を見ていて、良いところも気になるだろうところも知っている姉が妹の顔と爪に少々手を加えたら、姉バカ甚だしいが、世界一可愛くなった。

色んな人から可愛い可愛いと言われ、本人も出来上がりに「ブス!」どころか「盛れた...」と度々事あるごとに満足げにつぶやいた。姉は心で大きくガッツポーズした。式典や集まりや飲み会の二次会から自宅に帰った彼女は自分の顔の出来栄えにまだ満足げだった。撮ってきた写真は心なしかいつもよりニンマリしてた。

自分の顔に自信がある、それだけで、楽しさが何百倍にもなる。特に二十歳の辺りは本当に顕著だ。姉は知っている。恐らく人生で何番目かに楽しくて写真を撮り撮られるこの日が楽しくなる手助けが出来て良かった。別に頼まれてないんだけど、なんかやってしまう。別に今は一緒に住んでないんだけど、なんか駆け付けてしまう。彼女の良さはずっと変わらないんだろう。いや、変わらないでいてくれ。

 

妹よ、成人、おめでとう。

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News from no where III

曇った空に、赤や黄色、青や緑のネオンがチカチカと反射する道を歩いています。異国の言葉が飛び交って、煙草や食べ物が混じる冷たい風が吹きました。なんとなく角を曲がって狭い裏路地に入ると、座る男がピューっと口笛を吹きました。耳をつんざくような通りすがりの話し声にコートの襟を直し、再びポケットに手を入れて、入り組んだ道を曲がって吸い込まれるように店に入ります。聞いたこともない歌謡曲が流れるテレビをぼんやりと眺めていると、激昂しているような客たちの声も聞こえなくなりました。ポケットから手を出し、左手で右手をさすりながら、水垢でくすんだコップの水を一息で飲み干します。生ぬるい水がゆっくりと喉を通っていくのを感じて、きゅっと目を閉じました。再び目を開けると、嫌に鮮やかな緑のワンピースを着た、踊り子のような女がジッとこちらを見ていましたが、作り慣れた困った顔で、足早に店を出ました。

道に出ると、人々の声が耳をつんざきます。口笛の男は寝ていて、びゅうっと冷たい風が吹いて帰り際に見た踊り子の寂しそうな顔を連れていき、ひしめき合う店の看板の隙間から、チカチカ光る曇った空を見ました。

 

 

ライナス

しんどいという感覚を握りしめているときがある。ライナスの毛布みたいに。早く手離したいのに、頑なに握りしめている。握りしめていないと、しんどいという感覚で押し潰れされてしまいそうな気がする。でも、ふとした瞬間で、いとも簡単にそれを手離す。あんなに握りしめてたのに。俯きながら歩いた帰り道、ふと電車が横を通って風が吹き、握りしめていたものがなくなった。

生きてます 2022.10.12

高校生の修学旅行の感想文で、こんな作文を書いたことを思い出した。

 

私は無宗教なのに、なぜ無条件で寺や神社を見せられて、手を合わせるんだろう?分からなかったので、自分なりに考えてみた。ガイドをしてくれる社会の先生の話を聞くうちに、気付いたことがある。私たちの先祖は飢饉や天災がある度に、寺や神社に手を合わせて、生きたいと祈った。医学や他の学問も十分に発達しない中だけど、とにかく手を合わせて祈り、心の拠り所が出来ることで、生き続けることができた。そのお陰で私はここにいる。だから私は、どんな時も諦めずに生きたいと願ってくれた先祖への感謝と、生きたいという祈りを受け止めてくれた寺や神社への感謝を込めて手を合わせることにした。

 

24歳の私も同じことを思っている。たまに「楽して億万長者になりたい」とか祈るけど。

 

御徒町で「生きてます」と書いてある柱を見つけた。消えてしまいそうな小さい字は、まるで生きたい気持ちさえも消えてしまいそうだけど、それでも頑張って生きてると思いたくて、自分が確かに生きている証拠を残そうとしてるみたいだった。心の拠り所が柱に書いた自分の文字だって良い。また次の年に見て、何とかまだくたばらずに生きてるよって思っていてほしい。

 

私も、なんとか今日も生きてます。

 

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一つ夢ができた。

60歳くらいになっても、黒いバケットハット被って、長い三つ編みして、デカい黒いシャツにモノクロの柄のパンツを履いて、黒の厚底のスニーカーで、ダンスフロアでDJの流すファンクに合わせて上手にダンス踊る。

 

自分の娘くらいの年齢の人なんかよりずっと全身で音楽を楽しんで、恥ずかしそうにフロアの外側で揺れてるコに話しかけて、一緒に踊ったりする。

 

あのフロアには、承認欲求もどう見られたいかも羞恥心もどれだけ稼いでるかも存在しない。ただただ、DJの流すファンクに身を任せ、感じるままに動く。何もかも超越していてカッコいい。解脱している。私は人生の中で叶えたい夢を見つけた。

よりみち

駅に帰った後。雨が降っているのに傘がない。そして家に帰るには物足りない気持ちだったから雨宿りに寄り道した。屋根のあるところを当てもなく歩いて、夕暮れみたいな色の「よりみち」と書いてある看板に吸い込まれて古いドアを開けた。天井には星座のようなライトがぼんやり光っていた。「いらっしゃい」中にはカウンターに座るおじさんとおばさんしかいない。大きな席にひとり通されて、座った。

 

「はじめてきたの?」孫に話しかけるように聞かれる。はい、と答え、おばあちゃんの家の煮物みたいなお通しとデンモクが目の前に置かれた。初めて会う人と話すことは好きではない。おかしいくらいに緊張してしまうのだ。でも、今日はなんとなく、1人で家にいたくなかった。「おねえちゃん、なんか嫌なことあったんでしょ?」別に何もない。笑いながら、雨が降ってただけです、と答えた。なんとなく居心地が悪いのでデンモクをいじっててきとうにオリビアを聴きながらを入れた。

 

「おねえさん上手いねぇ」そう言われると、お世辞とは分かっていても嬉しくて、スッと緊張が解けた。全然うまくないんです、早口に言いながら梅酒を一口飲み、調子に乗って立て続けに歌った未来予想図IIで、いい感じに仕上がってきたおじさんに「本物か?!」「この人芸能人だよ、誰かに似てる...誰だっけな」「この人滅多に褒めないんだよ、前もCD出してるんですとかいう女の人にさ...」などと言われて更に調子に乗る。おじさんのリクエストで、木綿のハンカチーフを歌った。うろ覚えだったけど。

 

おじさんは東京ララバイを歌い、ママはら・ら・らを歌った。みなさんも本当にお上手じゃないですか!とか言いながら、次々と出される梅酒を飲みながら楽しくて揺れていたらすっかり酔いが回ったので、帰ることにした。

 

帰り際、おじさんが「あ、傘がないんでしょう、これ持って行って!返さなくていいから」と、ビニール傘を持たせてくれた。ママが「また歌いに来てね」と言い、見送ってくれた。

 

家に帰っても楽しさを噛み締めるように鼻歌を歌いながら揺れていた。雨の日も、悪くない。

映画

ある映画を観た。映画を見ている途中からずっと同じ曲が耳の中で繰り返した。もうその瞬間は二度とやってこないから、この衝撃を忘れたくない。この衝撃そのまんま、いつまでも、心の中で鳴っていてほしい。そう思いながら、イヤホンを耳に入れることなく帰った。